あるぞしゅぷらーはつぁらとぅすとら

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めんどくさいオタクが響け!ユーフォニアムが好きな理由

自分は「めんどくさいオタク」という言葉をよく使う。ざっくりと自分の中での定義を述べると「アニメ・マンガ・ラノベのような作品について、純粋に消費するだけには飽き足らず、考察・批評を重ねていく人々」のことである。

これは別に蔑称ではなく、自分自身こんな記事を書いている以上そこに含まれると考えている。

 

で、ここからが本題だが、私の周りのめんどくさいオタクたちが揃いも揃ってとあるアニメを勧めてくるのである。

 

そう、響け!ユーフォニアムだ。

 

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ちょうど今劇場版が公開中で、現在公開6週目となっているためそろそろ上映終了後も近いかもしれない。観たい方はお急ぎを。

 

未視聴の人にざっくり概要を説明すると、「全国大会を目指す高校の吹奏楽部における汗と涙、そして彼らの複雑な人間関係を描いた青春モノ」である

 

分類するならスポ根モノに当たるのだろうが、かなり複合的な作品だと思うので適当な区分はあまり適さないかもしれない。

 

 

 

※ここからネタバレあり

 

 

1期

冒頭から号泣している高坂麗奈が物凄い作画力で描かれていてインパクト十分。たった5分で高坂麗奈黄前久美子の価値観を叩きつけてきたのは演出としてうまいな、と。

 

1期前半は弱小吹奏楽部である北宇治を新しくきた顧問の滝先生がスパルタ指導で立て直す話。いわゆるスポ根に該当する。

あのにこやかな顔から吐かれる毒は画面越しですらまあまあ怖かった。

サボり気味な部員たちが下手な演奏して怒られてから努力して上手くなって大会でいい演奏をする、という流れはまあ捻りのない王道だけど好みだった。

 

1期中盤のオーディションは最近こういう競争ごとにぬるいアニメが多い中、キッチリと白黒つけていたのが印象深かった。

葉月や夏紀先輩を落としたことで間違いなく視聴者側にフラストレーションを溜めたが、これは必要不可欠なフラストレーションであり、ここがなければ1期2期劇場版の感動は半減してたはずだ。

 

1期後半は高坂麗奈に大きくスポットライトが当たっており、彼女の言動が視聴者および黄前久美子に大きな影響を与えるわけである。

 

 

高坂麗奈ははっきり言ってめんどくさい女だ。

 

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(某めんどくさいオタクが頭に浮かんだ)

 

彼女の行動原理は「特別になる、なりたい」という中二病めいたものであり、作中で最も大人びてるように見えて実は最も子供に近い。

だがそれ故に冷めきっていた久美子の心を揺さぶるし、同時に夢というものを追いかけているもしくは諦めた視聴者の心に突き刺さる。

 

「特別になりたい」、これは恐らく人類のほとんどが抱く根源的な欲求であると同時にほとんどの人間が諦めてしまう、もしくは妥協してしまう夢だ。

だからこそ視聴者はみんな高坂麗奈という女にめんどくささを感じると同時に共感を覚えるはずだ。

 

高坂麗奈はいわゆる二次元的なシンボルを多く搭載されたキャラクターである。

 

・黒髪ロング

・クール系

・能力が高い

 

など。基本的にはオタク受けするキャラクター造形であり、「銅像型キャラクター」に見える。

しかしながらその内面は視聴者の共感を呼び、彼女への自己投影を引き起こす。すなわち実は高坂麗奈は「鏡像型キャラクター」としての役割を作中で担っているわけだ。

 

そしてここで話をタイトルに戻すと、「めんどくさいオタク」というのは「特別になりたい」という感情が通常のオタクよりも極めて大きいと考えている。

作品ひとつひとつに考察を入れるのも、「アニメを見る」という行為を無為にしたくない、糧にしたいという欲求から自発される感情なのではないか、と推測される。

 

こういうオタクに高坂麗奈は刺さる。同じ「特別になりたい」という欲求を持った上で、それを達成し得る能力を持ち、さらに香織先輩を押し退けてソロを吹くという胆力を保有している、まさに理想のキャラクターだからだ。

 

 

2期

2期前半は鎧塚みぞれと傘木希美をメインに据えたストーリー。

個人的にはこのストーリーはあまり好きではなかった。登場人物たちの噛み合わなさが大きなフラストレーションを生んだのに対して、問題解決時の開放感があまりに小さかったからだ。

 

しかしこれはリズと青い鳥を見て一変した。ここの記述に関しては次項に委ねる。

 

 

2期後半にやってきたのはあすか先輩のストーリー。

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ここだけの話、私はあすか先輩が嫌いだ。

絡み方はめんどくさいし、そのくせ他人の問題になると急に無関心だし、のぞみぞ編では無能だし。他人に無関心なのは大人ってわけじゃないんだ。

要するにあすか先輩も高坂麗奈とは別ベクトルでめんどくさい女なわけである。

(だがまあ嫌いになるように誘導されてる気配もある)

 

実はあすか先輩編はあることを除いては物語の前後で何も変化を生んでいない。誰かの演奏がうまくなった訳でもないし、彼女と母親の人間関係が修復されたわけでもない。

 

あすか先輩の問題は結局のところあすか先輩自身が解決したし、そこに他の登場人物たちの行動は一切寄与していない。だから視聴後に抱いた快感はそれほど大きくなかった。

 

じゃあ何が変わったのか?これはこのブログの核心となるため後ほど述べる。

 

 

ストーリーをメインに語ってきたため端折ってしまったが、関西大会・全国大会での演奏シーンは素晴らしかったし、その結果として大喜びしたり落ち込んだりといったシーンも似たような団体競技をやっていた身としては突き刺さるものがあった。

 

 

 

リズと青い鳥

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本記事ではあまりこの作品については触れない。それはこの作品が駄作というわけではなく、アニメ「響け!ユーフォニアム」の魅力からは外れた作品だからだ。

 

その上でこの作品をざっくりと評すると「鎧塚みぞれの成長物語」となる。すなわち、ユーフォニアムで一見解決したかに見えたみぞれと希美の問題は実は解決しておらず、それをこの映画で完全に解決することで真の開放感を視聴者に与えたわけである。

 

ずっと自分をリズだと考えていたみぞれが自分がリズではなく青い鳥の方だったと気づき、演奏が一変したシーンはシリーズ通して最も大きなカタルシスを得られたかもしれない。ここの演出は音楽ものならではと言ったところか。

 

少し不満点があるとすれば鎧塚みぞれの掘り下げは十分だったが傘木希美の掘り下げがあと5cmくらい欲しかったかなと。もしかするとあえて掘り下げを少なくしてるのかもしれないが。

 

 

 

誓いのフィナーレ

この映画について述べる前に、まずここまで意図的に触れなかったことについて語る必要がある。

 

そう黄前久美子のことである。

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1期でも2期でも彼女は主人公でありながらストーリー的な立ち位置はあくまで脇役に徹してきた。

 

1期前半、部活がギクシャクしていた時も

1期後半、麗奈がソロを吹く吹かないで揉めていた時も

2期前半、希美とみぞれのいざこざがあった時も

2期後半、あすか先輩が部活を辞めそうになった時も

 

彼女は全てのイベントに多かれ少なかれ関わっていたが、同時に当事者ではなかった(あすか先輩イベントは当事者に近いとは思うが)

 

まあとはいえ各問題の解決に一役買っていることは事実で、そういう意味では「ヒロインの抱える問題を解決していくギャルゲーの主人公」に近いかもしれない。女の子を攻略してるわけではないけど……いや、ある意味では攻略してるのか?

 

ギャルゲーの主人公は前述した銅像・鏡像型キャラクターの定義に当てはめると当然「鏡像型キャラクター」となるが、黄前久美子もそうなのだろうか?

 

ここで一旦話を映画に戻す。

 

誓いのフィナーレの軸は以下の3つだ

 

・1年生(主に久石奏)の問題 

 

・コンクール

 

・秀一と久美子の関係性

 

 

 

・1年生の問題

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1期も2期も黄前久美子がめんどくさい女たちに振り回されることでストーリーが展開していったように、誓いのフィナーレでも久石奏という超めんどくさい後輩に振り回されるのが物語の一つの軸としてある。

 

だが同じような展開に見えて、それぞれの問題に対する久美子の取り組み方は大きく変わっている。

麗奈編、のぞみぞ編はあくまでも第三者として積極的には関わっていなかったが、あすか編では自分の思いをあすか先輩にぶつけるようになった。

前述したあすか編前後で唯一変わったこと、というのは久美子自身のことである。1期冒頭では無気力だった彼女が、あすか先輩と吹きたいという大きな衝動を表に出せるほど成長したわけである。

この成長は劇場版にも反映されていて、問題を起こしたみっちゃんや久石奏に対して、その問題を解決するために自分から近づいている。ある種受動的だった1期から2期前半には見られなかったことだ。

1期冒頭の無気力に近かった久美子が麗奈に、そしてあすか先輩に変えられて成長した、と言える。

 

 

・コンクール

本題と軸がブレるので簡潔にまとめる。全国大会に出れなかったのはやはり1,2,3年とストーリーを構成する必要上、挫折を入れられるのはこのタイミングしかなかったというメタ的な理由が大きいだろうが、視聴者としてはまあまあ納得し切れないところがある。

「ライバルが出てこないスポ根」という要素が少し裏目に出たかな、と言ったところ。龍聖学園が台頭してくる、という伏線は敷かれていたもののチームの様子も演奏も情報なしでは視聴者側は負けたことに納得がいかない。

 

が、吹奏楽とは自分たちとの戦いであり、だからこそ作中でライバルの要素を一切排除しているのであれば、この「納得のいかなさ」もまた演出の一つなのだろうと考えられる。

 

 

・秀一と久美子の関係性

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誓いのフィナーレ冒頭、いきなり秀一の告白シーンからスタートして度肝を抜かれた視聴者は数多いと思う。そして同時に、冒頭がこのシーンでなければ自分はこれほど響け!ユーフォニアムを評価していなかったようにも思う。

 

前述した通り、1期2期で黄前久美子は作中から一歩引いたようなキャラクターであった。そして我々はその彼女の視点から物語を俯瞰していたわけである。そういう意味では彼女は鏡像型キャラクターだ。

実際キャラクター造形的にも特にシンボリックなものはなかった。これは諸説あるかもしれないが

 

・茶髪パーマ(であってるのか?)という比較的モブ寄りの髪型

 

ユーフォニアムの実力はそれなりにあるがあすか先輩には劣る

 

・特徴の薄い声色

 

せいぜい考えていることがぽろぽろ口に出すぎ、といったところか。もちろんここまででも十分魅力的なキャラクターではあったと思うが、他のキャラクターを魅力的に見せるためとしての役割も大きかったように思われる。

 

そう、2期までは。

 

脇役に徹してきた黄前久美子は、塚本秀一の告白によってメインの舞台に引きずり出されたのである。

1期と2期を丸々使って視聴者に植えつけた印象を、劇場版の冒頭5分でいきなり全てひっくり返したわけだ。

 

そのギャップは凄まじいインパクトを与える。オタクはギャップが大好きなのだ。

 

誓いのフィナーレでは、部内の様々な問題を解決していくカリスマ久美子と秀一とイチャイチャする乙女久美子の2つの顔が観れる。

前者も後者も1期2期26話の積み重ねがあってこそのもので、だからこそ破壊力は抜群だ。

 

 

映画を観終わって後日友人と感想を話していた時、思わず出てしまった迷言がこれだ

 

黄前久美子は、響け!ユーフォニアムでしか見れない」

 

一見意味不明だがまあ私なりに理屈はあって。

登場キャラクターを分類した時、高坂麗奈はクール系、加藤葉月は元気系、鎧塚みぞれは無口系、傘木希美は陽キャ系、田中あすかはうざ先輩系、久石奏は小悪魔後輩系と分類できるが、黄前久美子黄前久美子系としか言えないのである。

 

一歩間違えば「無個性」「個性が薄い」と揶揄されかねないキャラクター造形を「唯一無二の黄前久美子」に昇華させたのだ。

それはやはりアニメ26話の賜物であり、既存のアニメ作品に彼女に類するキャラクターはほとんどいない。彼女を生み出す技術と労力があまりにも多大だからだ。

 

黄前久美子を構成する要素はもう一つある。声優の黒沢ともよさんだ。彼女の演技力があまりにも自然すぎた。自然すぎて2期が終わるまで自然だと気づかなかったレベル。

何が自然かってまったく二次元っぽさを感じないのだ。高坂麗奈加藤葉月川島緑輝も、声には二次元色が付いている。だが黄前久美子からはそういう強調的な二次元色が廃されている。

前に「特徴の薄い声色」と述べたがそれが劇場版に来て一気に魅力に転じたのである。

 

クールな声音もハスキーなボイスも甘ったるい喋り方でもなく、現実にいそうな女の子の声だ(いや実際あんな女の子が三次元にいるかと言われればまあ諸説あるとは思うが)

 

(全国大会前日の夜、秀一とやり取りしてる時の「アッゴメン」が好き)

 

声優、ストーリー、演出、何一つ欠けてても黄前久美子というキャラクターは生まれなかったと思う。出会いに感謝。

 

黄前久美子ひとりとってもこれだけ語れてしまう響け!ユーフォニアムの沼の深さあまりにも恐ろしい……

 

というわけで黄前久美子に心を貫かれてしまっためんどくさいオタクの戯言でした。今から原作買ってきます。アニメだと少なかった秀一の掘り下げが読みたい。